扁桃腺!!!
* * *
喘息から肺炎をおこしかけて緊急入院していた母が退院した。
もう母の入院に関してはプロだ。
少々のことでは動じない。
今回は1週間だった。
短期ですんでほっとしている。
が間の悪いことに、
この入院があずき(息子)のクループ(という病気)と重なり、
あずき自身も夜間に救急のお世話になってて、
そんな中母の看護が十分につとまるかというとこれは無理な話で、
近くに住む叔母(母の姉)の手を借りざるを得ない状況となった。
叔母とは両親のゴタゴタに紛れて長い間疎遠になっていたのだが、
これまた両親のゴタゴタが原因でわたしにお鉢が回り、
明かすつもりのなかったあずきの存在も知れ、
まあこれについては叔母は生涯独身の身、
孫にも等しいあずきの存在はたまらないらしく、
あれやこれやと気にかけてもらうようになっていたので、
今回は迷うヒマなく助けを乞うことにした。
おかげでぶじに入院期間もすぎ、
退院のもろもろも手伝ってもらってひといきつき、
「お昼でも食べて帰ろう。」
の誘いに応じて、
ひさしぶりにふたりだけで向かい合って食事をとっていたときのこと。
話題は母のことからあずきへ移り、
もうすぐ誕生日だという話をしていたら、
「この子の父親その後どうしてんの。」
と唐突に聞かれたので、
「別にどうもしない。」
と答えたら、
「認知だけはしてもらわなあかん。」
「あんたらのことは知らん。あずきは別や。」
「それを放棄することは許されんで。」
と和定食を前にまくしたてられた。
もちろん今にはじまったことではないし、
身内には等しく同じ話をされてきたし、
わたし自身も、
「認知なんかどうでもいい。」
とは全く思っていない。
・・・出産前は違った。
出産前は認知はおろか、
あずきに関することすべてから彼を遠ざけようとしたし、
「ひとりで育てる。」
という鉄の意志を貫きとおすことしか頭になかった。
今思えばわたしはまだ、
お腹にいたあずきよりも彼がだいじだったというか、
「だいじな彼の子だからこそ産む。」
というある種の、
「悦に入った。」
ところがあったあたり、
てんでまだまだ母親などではなく、
「母親候補のただの女。」
で、
「母になるなど片腹痛いなオマエ!」
というかんじだった。
だけどそんなわたしでも、
あずきを腕に抱いた瞬間からすべてのスイッチが切り替わった。
驚くほど瞬間だったと思う。
愛?恋?恋愛?
それってこの今わたしが抱いている命の重さに、
匹敵するほどの何かがあるんか?
この小さい命が幸せに生きていく可能性を閉ざすほど、
意味のあるもんなんか?
と。
だからそれから、
わたしはあずきを見つめながらすりきれるほど考えた。
産まれたばかりのあずきの小さなこぶし。
はじめて目をあけたときの瞳。
おおきな泣き声。
生きようするものの純粋な本能。
甘いおでこのにおい。
あたたかい息。
ぜんぶを抱きしめながらずっとずっと考えた。
そして出した答えは、
「わからない。」
だ。
そしてわたしはそれをそのまま彼に伝えた。
「わからない。わからないけれど考えてほしい。」
「この子が選ぶべきことかもしれんけど、ゆだねることではない。」
「認知がすべてではない。けど簡単に放棄もできん。」
「だからいっしょに考えて答えをもちよりたい。」
と。
彼は、
「わかった。考えるから時間くれ。」
と言ってた。
ちょうど半年前。
そのときあずきにも会ってもらった。
葛藤はあったけど、
わたしなりに考えた結果。
彼はいつもどおり飄々とやってきて、
またなんかわけのわからない独自の理論を展開して、
何を思ったかは不明だけど神妙なかおであずきを抱き、
「遺伝子学上は俺の子か。」
と言わなくてもいいことを口に出してわたしをイラつかせた。
いちいち、
「遺伝子学上。」
とか言わなくても、
「ほら!あなたの子よ!あなたの子なのよ!」
なんてドラマみたいなことしねぇよ趣味わりい。
彼はたぶん、いや確実に、
「自分の血をひく子どもがいる。」
という事実から目を背けておきたくて、
今でも認めたくないはずだ。
言葉の端々、
態度のいたるところに、
彼が感じているだろう、
「こわさ。」
みたいなものが見てとれた。
だけど、幸いに、というか、
だからといって逃げも隠れもするひとではないし、
(そこは信用してる。)
てか逃げ隠れできないんだけど、
(公人的な要素があるので。)
存分に向き合って答えを出してほしいと願ってる。
わたしはあずきの幸せしか頭にない。
わたしはわたしであずきの幸せだけを考える。
それだけを考えて前を向く。
そのひとつとして、
「認知。」
というおろそかにできない事項がある。
だからわたしは周りが何を言おうが思おうが考えることをやめない。
そのために行動することも。
あずきのこと以外は何があろうがファックユー!だ。
・・・まあ別に、というか、
彼に対して悪感情は今もなく、
かといってかつてのような愛情もないが、
どうしても複雑な感情を引き起こすタネではあるし、
ひとことで言い表せない存在となったことは否めない。
憎しみはないけど好感情というわけにもいかん。
これが現実だ。
なあ息子よ。
最近絵に描いたような「子どもがいる家」化する当家。
育児日記も1年おわる。
なんかさみしーなあ。。。
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