・・・ 端っこ症候群 - シングルママライフ ・・・
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子宮筋腫克服記:その5「手術編」。

32週4日。予定日まであと52日。

* * *

これ以前の子宮筋腫克服記はこちらから。
(克服記をまとめたカテゴリーに移動します。)

* * *

半年の投薬(スプレキュア)を終えていよいよ手術。

術前の準備としては、
他に貧血の治療(薬の名前わすれた。。。)をして、
輸血に備えて自己血の採取をしました。

2回にわけて800mlくらい採ったかなあー。

いろいろ免疫とか感染とかのリスクを減らせるし安全策で。



そして最後のMRIで術式などなどを説明してもらうのですが、
このときに運よく?卵巣膿腫が発見され、
同時に摘出をすることに。

これはこれで単独でも摘出が必要だったから
主治医は見つかってよかったねってかんじだったけど、

聞いたわたしはお先真っ暗というか、

女性器を2カ所も同時に病んで、
しかもどっちにもメスをいれるなんてと、

もう妊娠出産は絶望的だって、
そのころは捨てばちであきらめに似た気持ちでした。



肝心の子宮筋腫のほうは、
スプレキュアのおかげかほんの少し縮小していて、
子宮壁の厚みがちょっとできており、

これなら腫瘍を残さず子宮壁も破らず摘出できそうと、
子宮温存の方向で術式が決まりました。



結果からいうと、
4時間半の手術を終えて腫瘍は2つともぶじ摘出、

(ちょっとリアルだけど)
筋腫は900gもの巨大サイズ、
膿腫は1cm大の良性腫瘍で、

両臓器とも温存することができ成功の結果を残してもらいました。



入院は15日。

早ければ7〜10日で出られるようだけど、
術前も術後も高熱をだしてしまっていたし、
傷口も大きかったのでちょっと長かったみたい。



手術は。。。

術後3日がつらかったーーー。

痛み止め全開にしてもらっていてもダメで、
ちょっとも動くことできなくて、
じつはずっと朦朧としていてあまり記憶がないのです。

熱も40℃ちかくあったし。



気が早いんだけどこのときにもう自然分娩はできないといわれてて、

もし出産することがあれば帝王切開だよということで、
そうなると同じ場所を切ることになるからって説明されたけど、

まさかこんなに早く現実になるなんて、
当時のわたしは考えもしなかった。。。



この手術をしたのが去年の1月の末。
今からたった1年3ヶ月前のできごとだ。

なのに今のわたしは妊娠9ヶ月。

アンビリーバボー。



このあと”完治”のお墨付きをいただくのに4ヶ月。
妊娠まではその後4ヶ月。

わたしのからだがタフなのか、
それだけ医療のちからがすばらしいのか、

それとも目に見えない運命みたいなものか、

その全部かもしれないし。



一時は温存不可能といわれたというのに。



いちおう闘病といわれるものはこれでおしまいだけど、
この次にもうひとつ、

わたしが思う自然妊娠できた理由

を振り返ってみようと思います。



もしわたしと同じような立場のひとが偶然ここを見て、
何かちょっとしたヒントを見つけてくれたり、

治療を受ける元気をもってってくれればと切に願うばかり。



こころから。



☆ランキング参加ちゅう!見ず知らずのわたしに清き1ぽちを!

 
子宮筋腫克服記:その4「治療編」。
さーて今日はバスタブにつかって疲れをとろう。

* * *


のつづきです。

* * *

某総合病院への転院が決まり、
ついに初診の日。

担当医は落ちついた雰囲気の女医さん。



それまでの診断結果、
前の病院で撮ったMRIなどを見てもらい、

子宮温存は困難と言われていたこと、
それが手術前にきて急にくつがえったこと、

そしてもちろん可能な限り子宮全摘出は避けたいこと、

を伝えました。



新しい担当医からは、

もちろん全摘なら何の問題もないこと、
現段階で完全な腫瘍の摘出は約束できないこと、
(子宮壁を破らないために腫瘍を残して処置することになる)

を説明され、

「腫瘍を小さくするためのホルモン治療は提案されなかったの?」

とたずねられたのです。

そんな話は初めて聞いたと答えると、

「大きな腫瘍のひとにはスタンダードな方法なんだけど。」

と不思議そうしながらも、
その投薬治療の提案をしてくれました。



子宮筋腫は女性ホルモンを栄養にする病気なので、
そのホルモンを一定期間止める→疑閉経状態にすることで、
腫瘍の縮小が期待できる、

というもの。



ただし効果を出すのに数ヶ月かかること、
絶対に腫瘍を小さくできる保証はないこと、
その上に副作用が出る場合があること、

というリスクもありました。



その提案でやはりいちばんに考えたのは、
ここからまた半年という時間を手術までに費やすのかという、
先の見えないこわさでした。

肉体的によりも精神的な部分で。



決めかねて診察室で涙をながしながら、

「先生ならどうしますか。」

と思わず聞いてしまったわたしに、

「時間はかかるけどわたしなら可能性にかけるかな。」
「温存を望むなら半年かける価値はあると思う。」

と答えてくれた担当医。

それまでの医者不信もあったけれど、
この先生になら任せてみようと初めて思えたときでした。



それから半年使ったお薬、


スプレキュアという点鼻薬。



このお薬を使うとまず生理が止まります。

副作用はひとによりさまざまのようですが、
更年期障害と同様の症状がでるとされており、
わたしはほとんどのものが出ました。。。

全身倦怠、頭痛、肩こり、吐き気、ホットフラッシュ。

なかでも倦怠とホットフラッシュはつらかったです。

投薬後半は何かにつかまらないと歩けないくらいになり、
定期的におそってくるホットフラッシュ(急激なのぼせ)は、
冬場でもダラダラと汗がでるくらいでした。

何度も担当医に「もうムリかも。」と泣き言をいったものです。



ちなみにこのホルモン療法には、
点鼻以外に注射治療もあるよう。

注射は月に1回でよいようですが、
わたしは急激なからだへの負担がこわくて、
ずっとスプレキュアを使いました。



結局まわりや担当医にはげまされながら、
最大投薬期間とされている半年を過ごして、
ようやく手術にこぎつけることができたわけですが。。。



肝心の薬の効果はというと、
わたしには劇的な変化は見られませんでした。
ちょっと腫瘍のサイズが大きすぎたかも。

効くひとにはとっても効くみたいだけど。



けど約20cm大の腫瘍で子宮が伸びきって薄くなってたところ、
少し子宮壁の厚みを取り戻すことができたから、
腫瘍と子宮を切り離す際のリスクが減ったことで、
腫瘍を残さずに完全摘出できる可能性を上げることができました。

結果それで手術はぶじ執り行われたわけだから、
半年かけた甲斐はあったと思ってます。



そしてやっとやっとせまる手術日。

次回は「手術編」を書きます。



・・・次はあんまり期間あけないで書くよ。。。



☆ランキング参加ちゅう!やや面倒って思う気持ちを押しのけておひとつ。

 
子宮筋腫克服記:その3「転院編」。

お腹が張って10cmずつくらいしか歩けないよう。。。

* * *


のつづきです。

* * *

入院日がせまり逃げ出してしまったわたし。

そこから半年・・・、
何もせずにただただ現実から目をそらすように生活しました。



だけどだけどからだは正直なもので、

ほんとうにつらい日は、
何かにつかまらないと歩けないほど全身は重く、

周期に狂いはなかったものの、
生理時の出血は増える一方。

ひどいめまい、

そしてもう服の上からでもわかるほど、
ポコリと出てしまっているお腹。



親しいひとらの説得もあって、
またなんとか通院を始めたものの、

今度は当時の主治医に不信感を持つようになってしまいます。



半年たって再度前回のMRI画像を見ながら、

「ああ。これならここで僕が切ってあげるよ。」
「30分で終わるよ。」

とそれまでとは全く違うことを言い始めたのです。

「え?それって子宮は温存できるってことですか?」

と驚いてたずねると、

「そのつもりだけど。」

とあっさり。

「大学病院での手術のお話は?」

と確認するも、

「ここですればいいんじゃない?」

・・・いかにも簡単なことのように言われてしまいました。



子宮は全摘するしかない、
大学病院へ転院してもらう、

と言われ続けていた半年前までの診断は?

・・・もう不信感と疑心暗鬼のかたまりです。



そこは地元では有名な産婦人科で、
主治医はそこの院長でした。

けどほとんどの機能が産科に特化していて、
いわゆる婦人科(病気)の患者さんはごくわずか。。。

正直なところ、
大学病院への転院が決まっていたからこそ通っていたものの、
そこで手術をすることは考えられませんでした。



そこにきていきなり「ここで切る。」発言。

興味本位なんじゃないの?
手術してみたくなったんじゃないの?
終わったら「やっぱり全摘しかありませんでした。」っていうんでしょ?

としか思えなくなりました。



それでも迷いに迷い、
改めて入院の日が迫ったある日、

何度も何度も手術の内容を確認するわたしに、
そこの看護師がいったのです。

「別に他の病院にいってもらってもこっちは困らないんですよ。」

あまりに驚いて院長にその話をすると、

「希望なら別の病院に診断書かくけど?」

ってバッサリ。



耳を疑うひまもなく、
もちろん冷静になれるときもなく、

「じゃあ移りますから診断書かいてください。」

と有名総合病院への診断書をとりつけ、
再度ふりだしに戻ることになってしまいました。



・・・ほんとにばかみたいな話でしょう。

病院の対応うんぬんって前に、
自分がばかでどうしょうもないと思います。



まず、きちんとセカンドオピニオンをとらなかったこと。

いくら断られても、
いっぱい必死で探して、
きちんと受け入れてくれるセカンドオピニオンを求めるべきでした。



今だからいえるけど、

病気を治すことというのは、
なによりも本人があきらめないことだと思います。

わたしは子宮全摘と1つの病院で診断されたことで、
自暴自棄で投げやりになって、
それ以外の道があることなど探そうともせず、
ただただ逃げるばかりの日々だった。



だからこの転院につながった出来事というのは、
運が悪いというよりはむしろ、
大きな転機でチャンスになったのです。

ほんとにただただ運がいかったとしかいえない。
神様がいたとしか思えない。

当時はまた1からになって、
目の前がまっくらだったけど。。。



そしてこのことがなければ、

治してくれた新たな主治医にも出会えず、
もしかして子宮の温存はできずじまいで、
今あずき(ベビィ)を授かることもなく、

こんなブログも書いていなかったことでしょう。



だから今もし子宮筋腫で・・・、

ううん、
他の病気でも悩んでいるひとがいたら、

そして何かをあきらめかけていたら、

もういちどだけどこかの扉をたたいてみてほしいと思います。



病気はどんな病気もひとを孤独にさせる。
ほんとうのつらさは本人にしかわかりません。

だからこそ誰かまかせにせず自分のことをだいじに。

今だからそういえると思われてもそれでいいと思ってる。



・・・今回あまり話が進まなかったけど、
次回は新たな主治医との出会いで、
いよいよ『治療編』です。

また見てください。



☆ランキング参加ちゅう!みなさんのご協力でここまできました!

  
子宮筋腫克服記:その2「診断編」。
P1001263.jpg

28週1日。予定日まであと83日。

* * *


* * *

「子宮は摘出するしかないね。」

という診断を受けたものの、
もちろん納得などできるわけもなく、
なんとか手だてはないのかと模索してもらうものの、

子宮内がほぼ全て腫瘍という状態では、
子宮の温存を第一にすると腫瘍をある程度残すこととなり、
(子宮壁を破らないため、腫瘍との境目をあいまいに手術する。)

手術しても再発の可能性があるまま終えてしまうという結論に。



「温存できたとしても妊娠できるかどうか。」

といわれ、
あきらめるしか道はないような状況でした。



もちろんセカンドオピニオンを求めて、
有名総合病院の戸をたたいてみましたが、

「そこまで診断が下っている状態なら今の主治医にまかせるべき。」

と、
まともにとりあってはもらえませんでした。



もちろんこの病気は良性腫瘍ということもあり、
命にかかわるものではありません。

月経過多、全身疲労、貧血、腹部膨張、
腫瘍が大きくなることによる他臓器への影響、

症状が出ると日常生活に支障はあるものの、
生きるか死ぬかという状況でないのは確かです。

そして腫瘍を摘出する・・・、
(わたしの場合)子宮ごと取ってしまえば、
一件落着なわけです。



だけどわたしは現状を受け入れられませんでした。

泣いて荒れて、
お酒もたくさん飲んだし、
なげやりで自分をないがしろにして、

ふつうの精神状態ではなかったと思います。



子宮がなくなる=女性ではなくなる、
子どもが産めない=不能になる、

という、
負の感情にとらわれてしまった。

不快に思われたひとがいたらごめんなさい。
けど実際に起こったことで実際に体験した感情です。



そして当時から貧血が強かったので、
貧血の数値を手術に耐えられるまで上げるため、

その治療期間に半年の期間を設けて、
メドがついたころに某大学病院に転院する予定となりました。



それからまずは3ヶ月、
お薬の名前は忘れてしまいましたが、
まじめに貧血のための投薬を受けました。



その間、
子宮筋腫に対する直接的な治療は受けていません。



そしてヘモグロビンの数値も落ちついてきた3ヶ月後、
近づいてきた転院を控えて、

わたしは逃げ出してしまいました。



そこから半年全く通院をしなかったのです。



その3に続く。




☆ランキング参加ちゅう!ぜひぜひみなさんのお力をかしてくださいー。

 
子宮筋腫克服記:その1「発覚編」。
27週4日。予定日まであと87日。

* * *

『はじめに』

わたしは去年の1月に、
巨大子宮筋腫と卵巣膿腫の手術をしました。

一時は子宮の温存はできないといわれ、
自暴自棄になったときもあります。

そのときもちろんネットで治療法や薬のこと、
同じ悩みを持つひとの体験談など、
たくさん調べ物をしました。

そうゆうひとがたまたまわたしのブログに来てくれて、
ちょっとでも情報収集ができたり、
克服できたわたしの体験が希望になればと思い、
書き残すことにします。



ここから先は、
直接的な表現や読むひとにとっては不快なところも、
もしかしたらあるかもしれません。

そういうのがやだなと思うひとは、
やめておいてください。







* * *

はじめに子宮筋腫を見つけたのは、
今から10年くらい前だったと思います。

自覚症状もないまま婦人科検診でたまたま発見されて、
当時は直径5cmほどだったはず。。。

子宮内膜にできるタイプ。

特に急いだ治療の必要はないとのことで、
温存して経過を見てくださいといわれました。

一般的な対応だと思います。
同じように温存しているひとは多いでしょうね。



明らかに症状が出たのはそれから何年か後、
まずは下腹がえらく張るようになり、
特に生理期間中は異常なくらいで、
もちろん出血量も多く、

自分でも「これはおかしいな。」というかんじでした。



だけどもともと生理痛もなく、
その時期でさえ痛みについては皆無で、
ただただ婦人科へ行くことのこわさで、
見てみないふりをしてしまっていました。

仕事も忙しかったし、
いっぱい自分に言い訳をしてた。



今思えばほんとにこの時点で行っとくべきでした。病院。
このとき30代の半ばくらい。



そして2〜3年後、
気づくと異様な目眩とだるさ、
お腹の張りは増す一方、
動けないほどからだが重くなるときが出てきて、

「これ妊娠じゃないの。」

と勘違いして地元で有名な産婦人科へ行ったら、
もちろん妊娠などではなく、

MRIの写真は素人目にもわかるほど、
肥大した子宮と、
子宮をおおいつくす腫瘍。

他の内臓を押し上げてしまうほどになってました。



下されたのは、
選択の余地なく、
大学病院での子宮全摘出手術。

診察室でただただ泣き崩れることしかできなかった。



・・・これがはじまりで、
ここから手術まで、

約2年の闘病生活がはじまりました。



その2へ続く。




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